三島村・十島村とは鹿児島県に属する島となります。
生花店がない島としても実は知られているところで、
自然を大いに満喫できる島です。
ウミガメがいたり、野生の孔雀がいたり、秘湯「東温泉」があったり…。
実は魅力が満載なんです。
今回は、花屋がない島「三島村・十島村」、
そしてその島にずっとカーネーションを送り続けている
生花店さんについて見ていきます。
花屋がない島、三島村、十島村ってどんなところ?

三島村は上三島、口之三島とも呼ばれ、
黒島・硫黄島・竹島の3つの有人島から成り立ち、
この3島が合わさって一つの村となっています。
十島村は三島村からさらに南、
中之島を中心として
- 口之島
- 平島
- 諏訪野瀬島
- 悪石島
- 小宝島
- 宝島
の7つの有人島から成り立っています。
7つなのになぜ十島村?と思うかもしれません。
元々は三島村の3島も合わせて十島村として一括りとされていました。
1945年に終戦を迎えた
第2次世界大戦(太平洋戦争)後に
三島村の3島がアメリカ占領下となり、
十島村の呼称はそのままに現在の姿に別れた経緯があります。
なお、三島村の「硫黄島」は
映画にもなったあの硫黄島とは異なります。
「硫黄島からの手紙」の硫黄島は東京都小笠原村。
ついついあの激戦が行われた島と思ってしまいますね。
さて、それぞれに少ないながらも
人が住んでおり生活を営んでいるのです。
しかし、この両村には生花を販売する花屋さんが
昔から存在していなかったようです。
そして2022年5月、
この両村の子供たちへ鹿児島市の男性が
カーネーションを贈ったことが話題となりました。
花屋がない離島へ母の日にカーネーションを送り続けている生花店

5月のイベントとして母の日が挙げられますね。
子から母親に感謝の気持ちを込めて、
毎年5月の第2日曜日にカーネーションを贈る習慣が文化として根付いています。
終わってほしくないと誰もが思うゴールデンウィーク。
GWも終わると、街は一気に「母の日」で活気付くこととなります。
カーネーションを贈る由来はアメリカで発祥したようです。
カーネーションに限らず「母の日ギフト」として様々なものが売り出されます。
中には旅行をプレゼントするケースもあります。
さて、今回話題になった三島村・十島村の子供たちへのカーネーション贈呈。
両村には生花店が昔から無かったことに起因しています。
両村ともに離島のため、
カーネーションを育てるには過酷な環境です。
そもそも生花を育てるにも厳しい環境であり、
生花業を営むのが難しい場所でした。
日本に母の日の文化が根付いてきつつある中で、
カーネーションが身近で買えないがために
母親に感謝の意を伝えることができない両村の子供たち。
そんな両村の子供たちに
母の日に合わせカーネーションを
贈った方がいらっしゃいます。
鹿児島県は鹿児島市内で生花店を営む田知行 義久さんです。
田知行さんの生花店の詳細は残念ながら見つかりませんでした。
では、一体どのような思いで田知行さんは花を贈り続けているのでしょうか?
田知行義久さんはなぜ花贈る?きっかけは?どんな思いなの?

両村ともに生花を栽培するのも
販売するのも難しい環境の中、
日本でも母の日にカーネーションを
贈る文化が着実に根付いてきました。
約40年前、鹿児島市内で生花店を営む
田知行さんは両村に生花店がないこと、
そして子供たちが母の日にカーネーションを
贈ることができない現実を知ることとなりました。
母の日は1年に一回、母親に感謝の意を伝える大切な日。
そのきっかけを作るカーネーションを
手に入れることができないのは
両村の子供たちも残念であろうし、
カーネーションを渡すことで
日頃のお母さんへの思いを伝えてもらいたい、
という思いがあったようです。
また、両村の子供たちとの交流も深めたい、
という思いも同時に胸に秘めていたそうです。
ご自分の家族の理解と協力も相まって
40年以上母の日に合わせて
カーネーションを贈ることを続けられています。
2022年も両村の小・中学校7校の
児童生徒向けの184本のカーネーションを贈呈。
これは、大きな話題となりましたが
実はもう40年も続けられてこられたのですね。
本当、継続は力なりという言葉以上に
素晴らしい意志の強さと母親が子に持つ
「無償の愛」と同じような尊さを感じますね。
まとめ
「喧嘩したお母さんとの仲直りのきっかけとなった」
こんな手紙をもらい、
1本のカーネーションが役に立ったのかな
と感激されたという田知行さん。
もちろん、その手紙を出した子供さんも
田知行さんに感謝したことでしょうし、
そのお母さんも子供さんに感謝したでしょう。
優しい気持ち、というものは
確かにお金を稼ぐことはできませんが、
人としての根源というものを磨き上げるには
欠かせないものであると改めて知らされた出来事、と言えるのではないでしょうか。