「50代、何が楽しいんだろう…。」
「最近、ほとんど感動という感動をしていない…。」
「自分は何がしたかったんだろう…。」
そんな思いを感じている方の悩みを解決する方法を見ていきます。
今、50代を前にする方、もしくは50代に突入した方それぞれ、色々な人生経験をお持ちではないでしょうか。
- 仕事に没頭してきてふと気が付いたら、自分の好きや興味が分からなくなった。
- 子育てに全力で向き合い、大人になって肩の荷が降りたと思ったら、急に空き時間が増えて何をしたらいいか分からなくなった。
- いつの間にか50代になっていて、体の自由がますます効かなくなった。
いろいろ経験してしまったからこそ、
「自分の想いを忘れ去ってしまった。」
そのように、思っている方も少なくありません。
私の母もそうでした。
56歳頃の話ですが、普段、旅行に行きたいな~と言いながらも何だか諦めたような感じをどこか持っていて。
決して悪いことではないはずなのですが、少し胸が痛かったのを覚えています。
今回は、人生の折り返し地点とよく言われる50代が何故楽しくないと感じるのか、楽しく生きる知恵はないのか、記録していきます。
楽しいことがない50代…なぜこんなに楽しくない?その理由とは。
大人になった子どもの立場として、友人と話題になることの1つは「親が心配。」だということ。
あれだけ背中を大きく見せてくれた親たちも、若かりし覇気がだんだんと弱くなってるのがわかるからです。
それこそが、50代が楽しくないと感じる原因の1つとして挙げられると感じています。
それは「衰え」です。
- 体力の衰え
- 知力の衰え
年を重ねるにつれ、様々な衰えを否が応でも自覚させられる出来事が増えてきます。
何も健康に気を遣わなくても過ごせてしまった若い時と異なり、体の至る所が悲鳴を上げ始めてくる。
特に若い時の不摂生がこの歳になると突然響いてくる、なんて言葉も現実的に感じてきます。
責任がまだまだある
心身の衰えを強く感じることではありますが、まだまだ倒れるわけにもいかない50代の方がたくさんいます。
- まだまだ子供にもお金がかかる場合も少なくない
- ローンがまだある
- 会社で責任が重くのしかかる立場にある
現在進行形の悩みやストレスは全盛期なのに、心と体の老いが付いてこないと感じることも多いでしょう。
その最中、迫りくる定年退職。
「本当にこのままでいいのだろうか」という疑問と、現実を変えられないもどかしさに苦悩するのが50代といえるかもしれません。
う~ん、悪くもない気がしているが、それが楽しいと言えるのか…。
積み重ねこそ疲弊が原因?
そのような日々を積み重ねは、ある思いをもたらします。
それは、「50代は何も楽しいことがない!」という風潮になってしまっているのではと思います。
さて、誰しもが長生きをしたいものですが50代は楽しくない、と聞かされると迎えたくないというのも自然な心理ですよね。
本当に50代は楽しくないのでしょうか?
人間誰しも、若い時代を経て老いていきます。若い時は遊んでおけ!とよく言われるものですが、それは年老いたら遊べない!といった現実があることの裏返しなのかもしれません。
でも、そんな人生を達観したかのような老人になるのも何か寂しいですよね。若者を羨ましがる老人ではなく、若者に羨ましがられる年の取り方をしたくはありませんか?
何歳になっても人生の楽しみ方はあるはず。50代でも人生を楽しく生きるためには何が大事なのでしょうか?
50代を楽しく生きるには?楽しみの見つけ方
人間の脳というのは、安定を求める性質があるそうです。
例えば緊張する場面は誰しもが迎えたことがありますが、これは変化に対し脳がブレーキをかける現象とも言えるそうです。
年がいけば確かに冒険はしなくなるもの。しかし安定を求めるばかりに脳が活性化せず、楽しくないというジレンマに陥ってしまうことも。
そのために「新しいことに挑戦」することがまずは楽しみを見つけるための第一歩となります。
これはある意味、長年に渡り自らを律してきた「脳」を騙す行為に近いかもしれません。すぐに「時間がない」「お金がない」といった出来ない理由づけがされることでしょう。
しかしそこをあえて小さな一歩を踏み出すことで、時間が経つごとにそれまでの自分とは大きく離れた場所に立っているイキイキとした自分が存在している可能性が高いです。
自分がワクワクできる新しいことを探して、隙があればそれを広げていく行動につなげることが大事ではないかと思います。
しかし若い時と異なり、世間体もあるし中々突拍子もないこともできないのが50代。しかし50代を楽しんでいる人も多数いるのも揺るぎない事実です。
50代を楽しく過ごしている人はどのような思考・習慣を持っているのでしょうか?
50代は楽しい!という人は何考えてる?どんな習慣がある?
仕事をしていれば会社の中で大きなプロジェクトをまとめ上げたりといったのが大きな喜びであったり、何事も変え難い達成感を感じることは間違いがないでしょう。
しかし50代を楽しく過ごしている人に見られるのは、そのような喜びはもちろん大切という考えは持ちながらも、決してそのことに傾注しない心を持つことを大事にしていることです。
具体的には日常のどんな小さなことでも大事に喜び感動すること。愛する配偶者のちょっとした気遣いに感動したり、道の片隅に逞く咲く小さな花に気づいたり、といった感性です。
大勢に賞賛されることを追い求めるのも確かに大事かもしれませんが、そのような場面に遭遇することは本当に稀なこと。
例えば電車ひとつ止まっても日常が狂わされるかの如く、自分が当たり前のように過ごしている日々は多くの気づかない事に支えられている事実に気づく感性を大事にすることですね。
そしてもうひとつ大事なことは、「世の為人の為」と意識して行動することです。
若い時は我武者羅に、欲しいものを手に入れるために行動することは誰しもが通る道であり否定できない事実です。
しかし年を経るにつれ、得る欲には終わりがないことに気がつくもの。そして与えることの大事さに気がつくものです。
見返りを求めるのではなく、自らの小さな一歩が世の理を支えている、という意識を持ち行動することが大きな喜び、楽しみとなっていることも否定の出来ない事実と言えます。
まとめ
年をとれば無茶ができない、楽しめないといった厭世観も世に蔓延っていますが、それは心の持ちようによりいくらでも変えれるのではないかと思います。
去った時間は2度と戻りません。だからこそ来たる未来を楽しいものとするためにいつまでも挑戦心を忘れない気の持ちようこそが、何歳でも人生を楽しく過ごす秘訣ではないでしょうか。